第五話はこちら。
卵巣の腫れ具合がひどいことから、移植せず一周期休んでる間に子宮鏡検査を受けることになり、子宮筋腫が見つかって結局泣くほど痛い思いをした夏。
そんな私にもついに訪れた、移植の時!
採卵→受精によって胚盤胞まで成長した6個を凍結した中で、一番グレードの良かったものを移植することになりました。
この一番グレードのよかった胚盤胞ですが、顕微授精ではなく体外受精で受精したものだったらしいです。
細かいところではありますが、「体外受精で受精したもの」というのが夫婦ふたりとも嬉しかった点でした。
移植することになった胚盤胞のグレードは「4BB」でした。
※胚盤胞の発育段階がクラス4、内細胞塊の評価がB、栄養外胚葉の評価がB
胚盤胞のグレードとは?
数字と2つのアルファベットで表されます。数字は胚盤胞の発育の段階を表し、初期の段階が1で発育が進んでいくにつれて数字が大きくなります。アルファベットは、胚盤胞の成長段階と赤ちゃんになる細胞や胎盤になる細胞の評価に基づいています。
ここまで記事を読んだ方は察しがつくかもしれませんが、ここで妖怪検索魔が再来します。
「4BB 妊娠 確率」「4BB 成功率」などちょっとワードを変えて何度も検索…。大した違いがあるわけでもなく、検索しまくったところで何だって感じなんですが止まらないんですよね。。
ちなみに評価がBからなんとなく想像つくかもしれませんが、一番いい評価には「A」がつきます。
一番いいグレードが「4BB」、ということは「A」はなかったのか…とそんなことで落ち込んだりもしました。特段、教えてはもらっていないのですが、残っている凍結した受精卵たちのグレードは如何に??
今後、移植の機会があれば、それは知ることになるのだと思います。
まあ移植する前からなんでも聞いてしまったら、あれこれ考えてしまって集中できないでしょうから、それでいいのだと思います。
さて、何度か診察を受けて移植日を決めていきます。
卵巣の腫れがおさまっているか、子宮内膜が厚くなっているかを確認します。
卵巣の腫れについては自然に治まるのをただ待つしかありませんが、子宮内膜については前回の話で登場したエストラーナテープの使用と、内服で理想の着床可能状態まで体内環境を作っていきます。
移植直前の8月下旬頃に、最後の同人イベントに参加したり、会社の飲み会で悔いのないようにお酒を飲み収めたりしました。
移植当日。(2023.9月上旬のこと)
採卵と子宮筋腫手術をした時と同じ場所に行きました。
またもあの手術台。
多少の怯えがあったものの、針ぶっ刺しに堪えたし、子宮への水ぶっこみにだって堪えたんだ。
なんのこれしき!!と北斗の拳のケンシロウの顔つきになったつもりで手術台へ上がりました。
受精卵を移植するとあって、念入りに本人確認をされます。(大事なことなので4回聞くくらいのレベル)
そしてついにその瞬間が!!
ガッシャガッシャと器具の音が本当に怖いです。
何?ガンダム動き出してるん??
一体どんな器具を使っているのか、全く見えないので音が怖い。耳栓したい。
全く痛くなかったかと言われると、正直ちょいと痛かったですが、ここまでが痛すぎてもう明確に「これくらい」と表現できません。
移植が終わり、個室みたいなところに戻り看護師さんから「今日移植した胚盤胞の写真です」と用紙を渡されました。そこに写る胚盤胞の写真をみるだけで「我が子よ…」とうるうる涙腺にきました。
手術ではないのでしばらく安静に、ということもなく荷物を整理できたら早々に退室。
10日後くらいを目途に、「妊娠判定をするので午前中に受診を」とお達しがありました。
※受診が午前中に限定されているのは、血液で判定するために、AM採血→PM判定&診察となるためです。
移植した日の夜、何度もお腹をさすりながら「よかったらここに来てください、待ってます」と何度も声をかけました。
またも妖怪検索魔が現れ、落ち着かない日々を過ごしました。
さて、私の不妊体験記はここまでとなります。
この後、無事に陽性判定をもらえて妊娠生活を送ることになりましたので、妊娠してからの診察の話や不妊治療外来の卒業話などは、「妊娠中のお話」コーナーで書いていきたいと思います。
ここまで読んでくださった同志様、本当にありがとうございました。
不妊体験記は終わりましたが、不妊治療中の心情面については別で綴りたいと思いますので、よろしければそちらもよろしくお願いいたします。
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